木原東子全短歌 続

二〇〇〇年より哀歌集を書く傍ら、二〇〇六年より「国民文学」歌人御供平佶に師事、二〇一一年からは歌人久々湊盈子にも薫陶を受けて、個性的かつ洗練された歌風を目指して作歌するものの、やがて国外に逃れることとなる。 隠身(かくりみ)の大存在の謎を追求する歌風へと変転し、「・・・」とうそぶく。カッコに入れる言葉の発見は難しい。

ハイジに久しぶりに出会う

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朝起きても、雨戸をなかなか開けられない。
力がないのではなく、ガラスの家なので日光の力がはんばではないのだ。
東からも、南からも。

昼過ぎ、おてんとさまが高々と少し西に歩いていかれた頃やっと雨戸を開けるという
今日この頃。

天気予報をとTVをつけたところ
ハイジがフランクフルトのクララの家にいる場面に遭遇。

この家で彼女は辛い目にあって、病気になる。
薄暗い部屋でハイジのホームシックを見ていたら、ついもらい泣きしてしまう。
別にふるさと、とかに思い入れがあるわけではないが、幼い子には弱い。

子どもの頃は、本を読んではよく泣いたものだ。
現実の疑似体験として、悲しみ怒り淋しさ悔しさなどを追体験することは
子どもの心の力を強くする、といつか読んだような気がするけど。


事件。
朝顔の写真、この支柱が二本、きのうかしいてしまった。
重すぎたのか。
ゴーヤのつると朝顔と手を結んでいるし。

夫が言うには、前夜かなり強い地震があったからそのせいだろうと。
ともかくまた結わえておく、苦労した。
赤い筈だったのに、夏らしく白くて涼し気な花よ。
これをたくさん咲かせているのは実は少々恥ずかしいなあ。
******

*屋根裏でつま先立ちて小窓よりみるアルプスの白さ遥かさ

これは実は自身の経験で、ハイジを詠んだものではない。
山の姿を恋しがるところはあるようだ。
この関東の地でも、本当に平野ばかりで驚いてしまう。

*山稜の見えぬ眺めに棲み着くと小さき竜巻数秒を舞ふ
*渺々と平らなる地に北を指す山の端なくて迷子の暮らし

関東の空っぽの庭だった

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前回のブログが昨年末だったのには、驚いてしまった。
翌年、つまり今年一月にはほぼ引っ越し先を覚悟した。

この土地も、この家も、他の可能性の無い「ねばならない」という条件にしばられて
決定した。
そのころ、この家の家主夫婦は東北への旅行を計画していた。

3月11日、
私たち夫婦は段ボール箱とともに引っ越して来た。
部屋中にスチールの棚と箱とがいくつもの塔を作って立ち並んでいた。びっしりと。

家主夫婦は福島の高層ホテルに辿り着いて、部屋を検分していた。

そのとき、余り注目されていなかった海底で、プレートが強くはねあがった。
海が揺れ、数分後に津波が海岸から陸地まで高く襲い、そして深くえぐった。

ホテルの壁がめりめりとはがれ落ちた。その数分を立ち上がることもできず
床にしがみついていた。
階段を一歩一歩降りてゆくあいだにも、揺れが来る。
家にもどりつくまで一週間かかった。命があった。

一方、私たち夫婦は玄関の鍵だけ閉めて、ゆらゆらゆれる大きな電信柱のそばの駐車場をあとにした。
車はまだレンタカーを使っていた。
どこかひろいところへ、西も東も分からぬまま西から逃げた。
西にある海沿いの埋め立て工業地帯からすでに何度も爆発音が聞こえていた。
ますます大きな爆発音になっていく。

開発中のような、だだっぴろい草地のそばのだだっぴろい駐車場に停車した。
そこのDIYの店は、被害のためすでに閉まっていた。
車の中から西を眺めた。何度も火の玉がふくらんでは破裂した。
何回目かには、まるで原爆のきのこぐもを思わせる高さ、私たちの頭上まで幾重にも
火の玉がますます肥大しつつ生じた。

どうなるのか。
爆発するのか。
すさまじい光り、揺れ、音
順番にやってきた。
あの古い平屋の家は、荷物もろとも消滅しただろう。あんなに近いところなのだから。

夫には薬がなかった。すべてが燃えただろう。どうすればいいのか。
津波のことはまだ知らないままだった。本当の地獄はもっと北の地方でまさに起こっていた。

弟が普通は車で30分のところに住んでいる。そこには夫の必要とする薬があるはずだった。

高速道路は閉められていた。人々が徒歩で歩いていた。ひとりずつ歩いていた。
そのかたわらを、渋滞の車の列が止まっていた。走ることはまれだ。

そうして十数時間のち、朝七時頃人の住む家にたどりついたが、そこも停電中だった。
だれも携帯を使えず、すべてが不通だった。コンピニが人々の世話をしていた。
ある車は、コンビニの駐車場にはいるや、たぶんブレーキを踏み間違えて、店の壁に激突した。
こんなときにも、警官がバイクでやってきた。

原発事故のこともまだ知らなかった。水素爆発のあったという日、
おそるおそるまた引き返してきた、私たち夫婦の終の住処となる筈の地に。
一軒だけ、こうこうと電気の付いた外から丸見えで、箱だらけの家があった。
焼けずに。近所もそのままだった。

また一度、関西の家に戻って最後の仕事をいろいろ片付けた。
3月末に、多くの草木を捨て、さようならを告げた。

風が強かった。庭に一本の雑草もなかった。切り株が数本のみあった。
こうなるとどこかで知っていて、このブログを「空っぽの庭」と命名したかのように。

今は基本的にはねこじゃらしの庭である。
切り株は柿、からたち、名称不明の3種であるとわかった。
持って来たモンテプレチア、カンナ、露草、ひごすみれ、君子蘭、カロライナジャスミン、棕櫚竹、名前を忘れた観葉植物すべて再生した。復活した。

まずは、ばらを門柱に、赤いカーネーションを土に植える。
欠かせぬ夏の草花ハイビスカス、朝顔、ゴーヤ、すべりひゆあるいはポーチュラカ、モンステラ

 ********
忘れ得ぬ日に言霊はきらめくにすべりひゆ見て哀れ忘るる
文月末歳は重ぬも宝石のばらまかれいる庭すべりひゆ
公園に彩りなせどわが植えしすべりひゆゆえ窓より笑まふ
窓を開けすべりひゆ見る朝ごとに天にも地にも甘ゆるごとく

老年の小さき喜びイエローの書斎と名付けモンステラを置く
ひょっとして夢を叶へし我なるかガラスの部屋にモンステラある

キアゲハの母の見つけしからたちを護りたきとて赤児を落とす
母アゲハ次の日にも来五十ほど柔き葉の上よろばひて産む
からたちの花の小さきに驚きて旋律のなほ愛しまるかも
花白きからたちの歌なほ待たむまろき金色棘に触れみる

柿の木の残りし株に細き枝の葉は繁りたる紅葉ぞ待たむ

陽と雨と交々の朝露草の紫匂ふ青きらびやか
鉢のまま運ばれて春露草の瞳の色は他に無き深さ

青白き涙の色を思はする朝顔咲きてけふまた雨らし
カメラ向く赤のはずなる朝顔の青白なれど待ちわびたれば
朝顔の絡みし蔓をほどくごと机上のケーブル敬して分つ

心の澱を吐き出してみよう

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落ちるべきもの清潔に身じまいす


小刻みに寒風にふるえつつ
今頃一本 もみじしている
風変わりなお前を見るのも最後だ

何かが溢れそうな朝も夜も
冬ざれて倒れ伏したるサボテン
絶対負けないふたりの印として

麗しのマダガスカルジャスミンの
その葉の変わらぬ緑
潔い白さの斑文

寒さを合図に 春への準備為すフリージア
たいした美しさも持たないが
香りさえあれば

髪を短く切ってしまおう
還暦を五年も過ぎればその日は近い
ただ
生かされて意味がわからないのが悔しい
生物であることただそのこと
地球に守られて
しばし夢見た意識の世界であったこと

花も若葉も紅葉もすべて美しいと
感じた四季の狭庭の記憶連なる
言葉と概念が切りとる物質世界
永遠の問いはたまねきの皮むきのようなのか
誰が言った?
泣きながらむくたまねぎのおいしさは

現実の非情の要請は避けられず
押され押されて歩を進める
ころころと
ころがり出るさよならの言葉

  *******
これらが何なのか、錯綜しているが、短歌の枠を考えずにいたら並んで出て来た。
ついでにこれも、現実問題。

*風邪引きのさなかにひらめく引っ越しの片付けの順一番決まる
ギャラリー
  • 遂にここまで来てしまった 2023年より(4)『77歳の夏至まで』~~「憂き世」「思い見る世」
  • ドイツより地球の風に飛び移る 2022年より(7、8)『77歳の秋彼岸まで』~~「座学」「混乱中」「日本の記憶」「赤虫王国」
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  • ドイツより地球の風に飛び移る 2022年より(6)『76歳の夏至まで』〜〜「強制終了」「神との友情」「一網打尽」「対消滅」
  • ドイツより地球の風に飛び移る 2022年より(3)『76歳の春彼岸まで』~~ 「終焉の気配」「春の気配ある」「かくりみの気配」
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  • ドイツより地球の風に飛び移る 2022年より(2)『76歳の春彼岸まで』~~「希望のころ」「核の脅し」
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